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特別支援学校高等部入学のころのはなし [主人公の供養]

平成12年4月に入学しました。
当時は「養護学校」と呼ばれていました。
以前から愛知県は身体障害と知的障害は別の学校でした。
このころから身体障害と知的障害を同一の学校で受け入れるようになりました。
主人公が選択したのは旧身体障害系の学校でした。
入学したての頃は他の保護者より「あんたの子が来る学校ではない」。
また、教職員からも「知的障害入学反対」のチラシも頂きました。
それらのチラシは地元の教育委員会へ提出し、「どうなっているんだ」と嫌味も言いました。
解決策は「時間」しかないと個人的には思っていました。
この学校を選択し、旧知的障害系の学校を選択しなかった理由は、通学時間だけでした。
通学時間が約5分の所と約1時間の所を比べれば自ずと答えは出ます。
保護者や教職員が反対した理由は、「暴れたときに他の生徒に危害を与える可能性が大きい。建物の構造上、窓が低い位置に設けられているため窓から投げられたらどうする。」でした。
保護者の気持ちを汲めば、言わんとしていることは全く理解ができないものではないです。
知的障害のことをよく理解せず、ただ論理が飛躍しすぎていました。
実際に他の保護者の苦情に対しては「入学決定をしたのは教育委員会であり、直接保護者に訴えるのはお門違いである」と言い放ちました。
教職員のことは「組織決定されたものであり、あずかり知らぬところ」としました。
収まるのに1年位要したでしょうか。学校の名称が特別支援学校になってからはそういうつまらないことはなくなりました。
こういったことも今では懐かしいです。


職場体験・・・療育手帳A判定への効果は

特別支援学校高等部(当時は養護学校と呼ばれていた)入学時には既に「卒業後のことを考えてください」と言われました。
そして「自立」のために「お手伝いする」ともいわれました。
「自立」とは何かと質問もしましたが、答えはありませんでした。
学校も「変な保護者が来たな」と思ったことは想像に難くありません。
これが2012年のことです。
正直この時は、「学校とは考え方が遅れたところだな」と感じました。
その理由は障害者自立支援法が施行されたのが2006年4月でした。
この法律の経緯は「措置」⇒「支援費」⇒「自立支援法」で、障害者サービスの制度が時代(主に国の財政状況)の流れの中で翻弄されてきました。
本当に障害者の生活を優先していたかは大きな疑問です。
学校教育の制度改正も自立支援法と並行して進められていたはずです。参照 歌舞伎ジャーナル第70号 別図1
他に「遅れている」と感じた理由は、すでに「何でもかんでも自立ありきではなく、個々に見合った障害福祉サービス提供の時代」ということです。
そもそも「自立」の定義もあいまいでした。
療育手帳A判定ではいわゆる自立(他人の助けなしで生活すること)は無理で、生活介護サービス受給ありきで考えてもらわなければならないと訴えていましたが、当初は学校側になかなか理解していただけませんでした。

相手側(学校側)に立って考えてみると、従来は身体障害者の養護学校で、知的障害を受け入れた経験がない。
暴論を承知で書くと、身体障害者は比較的に「手に職」を得やすい。
県の障害者向けの職業訓練校もICTであったり、職人養成系が多い。
教員の頭の切り替えがついていかなかったのでしょう。

福祉の現場と教育の現場の連携が欠如していると痛感しました。
特別支援学校と名称変更されてからは学校も変わってきました。
組織が大きいと教育者も保護者もハンドルを切り替えることが困難だということは理解できます。
今回のテーマの「職場体験」が自立のために大いに必要かははなはだ疑問に感じました。
職場体験のカリキュラムを否定するのではありません。
前提条件が時代遅れというだけです。
前にも(2017年4月22日 知的障害児にとって「五月病」とは? )で書きましたが、療育手帳A判定にとって職場体験はキッザニア東京のアトラクションと何ら変わりのないものです。


さて、テーマの「職場体験」ですが、高等部3年の6月と10月の2回行われ、それぞれ4,5日間行われました。
主人公も喜んで体験しましたが。保護者も安心したのは事実です。
卒業アルバム.jpg
   (卒業アルバムより)
いきなり体験ではなく、そのための予習も丁寧に行われました。
受け入れ側の事業者は保護者には現場を見せたがりませんでした。
当たり前のことですが、他者のプライバシーの保護など当然のことです。
(テーマ職場体験)
2014年05月27日 職場体験の下見 実習先は「就労継続支援B型・生活介護」
2014年06月15日 明日から職場体験
2014年06月16日 職場体験の初日が終了
2014年10月26日 明日から2回目の職場体験 主人公も意識
2014年10月27日 初日 主人公に感想を求めましたが・・・
2014年10月29日 3日目 1日のスケジュール紹介

知的障害児にとって「五月病」とは? [主人公の供養]

正確な統計はとっていませんが経験則で述べます。
「五月病」は場合によっては死に至る病です。
2016年12月5日 特別支援学校・福祉作業所・医師へのお願い でも書きましたが、特別支援学校高等部を卒業したの同級生5人のうち、5月早々に大きく体調を崩した子供は我が家を含めて2人いました。
この数を多いと判断するのか、少ないと判断するのかは自由です。
五月病に陥ったと想定される経緯を述べます。
まず一般論ですが、学校を卒業し、新しい環境に夢や希望を持って臨みます。
しかしながら、自分の描いたイメージと現実がマッチしないことに焦りやストレスを感じ拒絶反応を起こすことがあります。
五月病とはこの拒絶反応に起因する他人から見て様々なネガティブな現象(例:出社拒否)です。
医師はこのことに気が付かなければなりません。 解っていると思いますが「医師の都合ではなく、患者の都合」が優先されるべきです。
主人公はどうでしたでしょうか。
4月からは障害者総合支援法における介護給付のうちの「日中活動系サービス」の『生活介護』を受けるため、作業所に通いました。
即ち、3月いっぱいまでは楽しい学園生活をおくっていました。
職場実習はしましたが、それはキッザニア東京のアトラクションと何ら変わりのないものでした。
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本人にとっては準備期間がなく、いきなり新生活を迎えたわけです。
「ちやほやされた生活」に終止符が打たれました。
それまでは、いろいろな仕草に笑っていただいたりして、当意即妙な反応(クイックなレスポンス)があったわけであります。主人公もそれを期待していて、傍から見たら「お茶目な」節がありました。結果、作業所では期待が裏切られたと判断したようです。
すべての行動が無視され、周りの人たちは黙々と作業を続けられました。
主人公のために指導員が加配されたようですが、もともと少ない指導員は主人公ばかりをかまっていられません。
特別支援学校とは違うのであります。主人公は現実を全く理解できませんでした。

情けないことに保護者は毎日喜んで通所している姿に安心し、コミュニケーション能力の欠如を忘れ、ストレスを察知できませんでした。
医学的に解明されたわけではありませんが、遺伝子に「Ⅰ型糖尿病」の因子が組み込まれていたのか、脳からの様々な指令にこの因子が働いたのだと保護者は考えています。今思うと、どんな事情があろうとも生活の急激な変化は避け、ソフトランディングに努めるべきでした。
(テーマ五月病)
2017年3月12日 卒業式の翌日から五月病が始まります(大胆な仮説) 
2015年4月30日 初めてのお給料をいただきました

主人公も好きだった牡丹の花が咲き始めました [主人公の供養]

古来より美人を顕す言葉に
「たてば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」があります。
保護者は意識してこれらの植物を庭で栽培しています。
これらの中で1年のうちに最初に咲くのが牡丹です。
牡丹の種類は、島錦(5)・ハイヌーン(お休み)・花遊(6)・新七福神(お休み)・大正の光(2)・貴婦人(3)です。
()内の数値は今年の花芽の数
この内、花遊が咲き始めました。

(テーマ牡丹)
2015年4月25日 18歳 飼い犬と一緒に記念写真 花遊
2015年4月23日 18歳 朝から鑑賞会 貴婦人・花遊
2014年4月25日 17歳 祖母と鑑賞会 新七福神・ハイヌーン
咲き始めは昨年と同じぐらい。
と言うことは平年より早い。
今年の冬は去年より寒かったが、それは開花に関係ないようだ。

何かと話題の新豊洲市場の建設用地を撮影していました [その他]

2008年7月25日キッザニア東京からの帰りに「ゆりかもめ」に乗車した。
その折、新豊洲~市場前をビデオ撮影した。
撮影の目的:
すでにこの時点で新しい市場の建設が決定していた。
10年後、ここにどういう建物が建設されているか楽しみであり、ゆりかもめからの景色が建設前・後でどう変化するか比較材料とすべく撮影した。

オマケ 2012年1月31日にも当該箇所を少しだけ撮影した。
有明テニスの森~市場前。富士山のシルエットが印象的でした。


供養のひとりたび [主人公の供養]

と言っても特に信心深いわけではないので、恐山に行ったり、霊場巡りをしたわけではありません。作法も知りません。
古来より「門前町」は神社仏閣の周りに食事処や土産物店が集まり、純粋にお参りだけに専心する社会ではありません。
これで1つの経済が回るものです。
身勝手な話かもしれませんが、今回のたびは自分に負荷をかけて主人公を供養し、おいしいものも食べることでした。
具体的には、15キロのリュックを背負って山道を歩くこと。
場所は礼文島の4時間コース・8時間コースと宗谷岬でした。
季節外れの暴風雪により、風上に向かっての歩行は困難を極めましが、それぞれの岬の突端で「般若心経」を唱えました。
なお、安全を優先し海岸沿いや稜線沿いは避け、舗装道路があればそこを歩きました。

美味しいものはススキノのラーメン。稚内のたこしゃぶ。小樽での海鮮料理でした。
幸いにも宗谷岬からは樺太が遠望できたり、利尻水道航行中には流氷の破片も窺えました。
天候には恵まれませんでしたが、非常に満足した定年退職直後の「供養のひとりたび」でした。
※嘗ては国鉄の駅で野宿出来ましたが今はできないのが残念。

「脊柱側弯症」による歩行矯正のためのクツ発注の記録 [主人公の供養]

「脊柱側弯症」が及ぼす影響を低減するために「コルセット」をあつらえたり、「クツ」の中敷き等を特注しました。
「コルセット」はすでに2017年2月8日 ブログにて記録を投稿しました。
今回は「クツ」に特化します。クツの新調は年に1足認められました。
特注の内容は既製品をカスタマイズする方式です。

2008年12月1日(小6)
愛知県コロニー中央病院にて装具(クツ)を採寸しました。
これは脊柱側弯症が原因で歩行困難と考えられ、スムーズな歩行を可能とするためクツに細工をするものでした。
採寸時にドクターに猿芝居を打つがすぐにばれた。

2009年4月12日(中1)
市民健康館で肥満防止の献立チェックと「足形測定」を受けました。
特に足形測定は「脊柱側弯症」と「歩行」に強い因果関係を証明するものと捉えました。
「足形測定」結果は下の写真の通りです。前後左右のバランスが悪い。



2012年10月30日(高1)
コルセットと同時に作りました。
クツの新調は年末が多いですが、これも新年は新しい靴で迎えようというものです。

※4月10日から父は旅に出かけます。
したがいまして、当分の間ブログ投稿はできません。
ご理解をお願いします。

重度の知的障害児がよしもと芸人を見て「笑うか?」ほか [その他]


(2014年9月20日撮影)
答えは「笑う」です。

主人公は親に付き合ってTVでお笑いを見ていてもほとんど笑いませんでした。
ビデオを見ても「腹を抱えて笑う」ほどでもありません。
なぜ笑ったか、理由はよくわかりません。
周りが笑っているからかもしれません。
また、TVを通すのと、ナマで見るのとは全く違うからか。
「なごやよしもと」の芸人さんたちは城下町で腕を磨いていました。
それでも「なごやよしもと」在籍中にブレイクした芸人さんは存在しない。
「スギちゃん」、「スピードワゴン」は在籍後にブレイクしました。

※お笑いの世界は厳しく、後半登場のコンビは所属を離れ、個々で活動している。

4月1・2日は地元のお祭 [その他]

2017年3月29日のブログ にも書かせていただきました。
3月31日で職場を退職しましたが、慣例で「祭りの終了を以って、年度終了」に従い、「お礼奉公」しました。
次のビデオは主人公が生前見物した犬山祭です。(再掲)


犬山祭は昨年12月、国内他の32のお祭とともに「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。
国内トップバッターとして4月1・2日に行われました。
このビデオはその内、試楽祭(しんがくさい) 夜車山(よやま)巡行 浦島(新町)にスポットを当てました。


入学式を振り返って [主人公の供養]

4月になりました。新しいステージの始まりです。
今回は「入学式」に特化します。
主人公は小中学校は「普通学校」、高校は「養護学校(特別支援学校)」に通学しました。
養護学校…当時の正式名称は「養護学校」。特別支援学校とは呼ばれていませんでした。

2012年4月6日 入学式前の教室にて入学式の撮影はできませんでした。

入学式は小学部、中学部、高等部が合同で挙行されました。
学校が一丸となって新入生を迎える姿勢をヒシヒシと感じました。

中学校…
2009年4月7日桜が満開の入学式 親クラスでオリエンテーション⇒入学式⇒6組(特殊学級)の順で紹介しています。
普通学校の良いところがいっぱいあふれています。
 
2009年1月29日教室の下見 中学入学を控え、中学校から招へいがありました。
校長先生、教頭先生、担任の先生から熱烈歓迎を受けました。
 詳細は歌舞伎ジャーナル 第90号 に記載しております。

小学校入学までの道のり…2002年9月14日~2003年7月18日までの記録県教育委員会とのやり取り
関連で他の親御さんのレポート歌舞伎ジャーナル 第3号
父は今よりこの頃のほうが数倍熱かった。