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父は明日勤め先を退職します [その他]

給料はきちんと払っていただきました。
職場の理解により病院スケジュールを優先していただきました。
役職にも就かせていただきました。
お陰で、このブログ、ホームページやYoutubeで情報発信できました。
勤め先には「感謝」以外にありません。
主人公が他界したことは残念でなりませんが、歌舞伎症候群の家族の方々や知的障害の家族の方々に少しはお役に立てたと思っています。

これからはもう少し中身の濃い記事が書けるかもしれませんが、生きていくためには4月3日からは職探しをしなければなりません。

追記  職場のひょうきんな仲間たちと退職記念写真(2017.03.31)
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犬山祭見物の記録 [主人公の供養]

今年の犬山祭 は4月1日(土)・2日(日)で、残りあとわずかです。
昨年12月に犬山祭はユネスコ無形文化遺産に登録されました。
主人公の犬山祭見物は記録のある限り遡って調べると2006年~2013年まで7回行っています。
ただし、2013年は2日とも雨降りでした。
2014・15年は父が関係者であるため見学していません。

祭の楽しみは、露店をのぞいたり、物産展での名物購入もあります。

7年間(2009年~2015年・小6~高等部卒業後)のお花見 [主人公の供養]

3月22日のブログでお花見の特集をお約束しました。
今回のブログがそれです。
桜と言っても種類が豊富にあります。
身近な慣れ親しんだ種類を列記しますと
ソメイヨシノ、ヤマザクラ、シダレザクラ、ヒガンザクラ、カワヅザクラ。
お花見で訪れた場所は明治村、里山、犬山城一帯、五条川など近場ばかりでした。
お花見と言っても桜の下でごちそうを食べるのではなく、桜を愛でることが中心でした。そのため、SLや川船から見たり、通過する電車の横から見たり、里山に登ったり様々なスタイルで楽しみました。
最後の花見から約1か月後に「急性発症1型糖尿病」により緊急入院。その後1か月足らずで帰らぬ人となりました。


カブキ・カンファレンス [海外の活動紹介]

英語の歌舞伎症候群のホームページ を作成しておられるマーゴット・シューミッジさんが投稿されたビデオです。
題名は カブキ・カンファレンス
日本語で訳すと「歌舞伎症候群家族会」
目的は出会いとフレンドシップの構築を通して、私たちの子供にとってよりよい生活を送ることです。
写真がたくさん紹介されています。

時間があったら次のビデオ も見てください。
シューミッジさんのお嬢さんのタラさん(年齢25歳ぐらい)の「冒険」です。

春の里山ウォーキング(桜の花見を除く) [主人公の供養]

2017年1月5日 当ブログにて 冬の里山ウォーキング 2010年~2013年の記録 を投稿しました。ウォーキングの目的などはこのページを参照してください。
今回は「春の里山ウォーキング(桜の花見を除く)」です。
桜の花見は改めて投稿します。
期間は3月~6月まで。

鶯の声も入っています。

コルセットの変遷 [主人公の供養]

2月8日のブログ「知的障害児の脊柱側弯症のレントゲン撮影とコルセットの作成」の続きです。
まず、このブログでコルセットのことを書いたのが24回。
2008年からですので、平均2.5回/年ということになります。
記事数の割合では、約2%となります。
そもそもコルセットをあつらえた理由は「脊柱側彎症」の改善を支援すること。
手術をすれば改善はしたと思いますが、歩いたり、走ったりすることが上手にできるかは未知数でした。
医師とも相談し、骨が固まるまでは続けることになりました。
中学3年生ぐらいから、「これが最後」と言っていましたが、最後は迎えることができませんでした。
(テーマ:コルセットの代表的な記事(古い順))
2008年02月27日 11歳 骨の曲がり具合の数値を表示 悪くならない理由も
2008年06月12日 11歳 新旧比較 1年半の成長の記録
2009年05月25日 12歳 コルセットの型取り レントゲン写真あり
2010年05月14日 13歳 歯科&整形外科の受診 「てんかん」のPRも
2011年05月31日 14歳 小児神経科と整形外科の受診 コルセットは5月
2012年10月30日 16歳 今回が最後のはず? 2003年から装着
2015年02月06日 18歳 この年も作る予定でした 前年5月にも作成

卒業式の翌日から五月病が始まります(大胆な仮説) [主人公の供養]

まず、一般論として五月病のイメージを簡潔に書きます。
学校を卒業し、新しい環境に夢や希望を持って臨みます。
しかしながら、自分の描いたイメージと現実がマッチしないことに焦りやストレスを感じ拒絶反応を起こすことがあります。
五月病とはこの拒絶反応に起因する他人から見て様々なネガティブな現象(例:出社拒否)です。
 
では、重度の知的障害児(者)にこれが当てはまるか。
※知的障害児(者)としたのは法的に解釈がめんどくさい部分がある。 
主人公を例に考えてみたい。
(テーマ特別支援学校高等部・中学校それぞれの卒業式の翌日)
18歳 高等部卒業翌日 急にPCで算数をやり始める
15歳 中学校卒業翌日 卒業式で歌った「大地讃賞」がフラッシュバック

私の感想は、主人公は現実を全く理解できませんでした。
ビデオなどを通しても、新しい環境への夢や希望は全くうかがえません。
因みに京都大学霊長類研究所 のwebからチンパンジーやボノボに五月病の研究発表があるか検索してみましたが、見つかりませんでした。
なんでこれを調べたかというと、私が見た範囲で主人公とチンパンジーの「アイちゃん」「アユム君」の平均的な知的レベルで大差ないと勝手に思ったからです。もちろん、進んでいるところ、遅れているところはあります。

4月からは障害者総合支援法における介護給付のうちの「日中活動系サービス」の『生活介護』を受けるため、作業所に通いました。
即ち、3月いっぱいまでは現状維持。
準備期間がなく、いきなり新生活 を迎えたわけです。
「ちやほやされた生活」に終止符が打たれました。
それまでは、いろいろな仕草に笑っていただいたりして、当意即妙な反応(クイックなレスポンス)があったわけであります。主人公もそれを期待していた節がありました。結果、期待が裏切られたと判断したようです。
すべての行動が無視され、周りの人たちは黙々と作業を続けられました。
主人公のために指導員が加配されたようですが、もともと少ない指導員は主人公ばかりをかまっていられません。
特別支援学校とは違うのであります。
卒業アルバム.jpg
   (卒業アルバムより)
主人公は強いストレスを感じたのでしょう。
情けないことに保護者は毎日喜んで通所している姿に安心し、コミュニケーション能力の欠如を忘れ、ストレスを察知できませんでした。
2015年4月にはこのブログを13回更新しましたが、希望に満ちた内容だと思います。

医学的に解明されたわけではありませんが、遺伝子に「Ⅰ型糖尿病」の因子が組み込まれていたのか、脳からの様々な指令にこの因子が働いたのだと保護者は考えています。
病名は「急性発症Ⅰ型糖尿病」と診断されました。詳しくは歌舞伎ジャーナル 第107号「歌舞伎症候群の治療を小児科専門医だけに任せてはなりません」 を参照してください。

最後に同じ特別支援学校を卒業した仲間が5人います。
昨年12月の「成人を祝う会」の情報交換で判明しました。
もう1人5月に重病にかかった人がいました。
主人公が特別であったわけではありません。

大縣神社の豊年祭 [主人公の供養]

次の日曜日の3月12日が豊年祭です。
平成28年(2016年)は父は当番で、裃を着て「神幸行列」に加わりました。
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この神社は「産土神(うぶすなかみ)」。主人公も初宮参り、初詣、七五三参りもこの神社で行いました。
宗教的なことを除いて、里山ウォーキングのメインフィールドとしても親しみました。
産土神は死後までも守護する神として崇められています。
祭神は大縣大神(おおあがたのおおかみ)。
摂社の「姫之宮」玉比売命(たまひめのみこと)を祀り、女性の守護神と称えられています。
豊年祭は「姫之宮」のお祭で、五穀豊穣、子孫繁栄などを願うものです。

(テーマ大縣神社の『豊年祭』) ほとんどのビデオに露店が映ってます。
2006年3月12日 9歳 身長はすでに妹に抜かれています
2008年3月9日 11歳
  このときの写真がkabuki Brochure(歌舞伎症候群概要)に使われています
2009年3月15日 12歳 社殿「尾張造り」は国の重要文化財に指定
2010年3月14日 13歳 棟方志功デザインの絵馬が見もの。暖かった
2011年3月12日 14歳 東日本大震災直後で父は祭どころではなかった
2012年3月11日 15歳 震災から1年。復興への願いは強い
2013年3月10日 16歳 梅まつりの「枝垂れ梅」が見事。それにしても寒い!!
2014年3月9日 17歳 伯父さんが裃を着て行列に参加
2015年3月15日 18歳 「元気いっぱい」でした

東日本大震災から6年が経過します [その他]

我々の記憶から薄らいできたことは否めません。今回の目的は「忘れないように」です。
震災直後の歌舞伎症候群関連では主に2つのことをしてきました。
1.海外からの情報と国内の情報整理
原発については全く違う報道が入っり困惑しました。
3/11の夕方には、海外からは東電第1原発が危機的状況である。
「原発から居住地までの距離は?近くであればすぐに避難しろ」と複数のメールが寄せられました。
翻って国内では「メルトダウンはない」というものでした。
情報は海外の物が正確であることが後から判明しました。
2.歌舞伎グループの安否確認
当該地域で、当時のメンバーは3家族。
国際赤十字のwebで安否情報を確認していましたが、まったくわかりませんでした。
1家族と連絡が取れたのは3月末でした。
釜石に住んでおられる方でした。
確認が遅れた理由は、津波で情報手段が失われたためでした。
残りの2家族はわかりませんでした。
震災を忘れないために当時のメールを紹介します。
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今晩は、お久しぶりです。岩手県の●●です。
津波から避難する時、携帯を無くしてしまい、私の父の携帯から、〓をします。新しく買うまで、このアドレスにて送信します。
今回の地震や津波は大変な災害でした。
私の住んでる釜石も、海辺の街はめちゃくちゃですが私の住んでるアパートは被害が無く大丈夫でした。
実家の鵜住居は家が流されてしまい、アパートに一緒に住んで居ます。
家族はみんな無事でしたが親戚の人が亡くなったりと悲しい事ばかりです。
息子達は、地震に怯えストレスを抱えているようですが、毎日兄弟喧嘩です。
他の県の歌舞伎メーキャップ症候群のお子さんや家族の方、安否確認取れていないそうですが、無事でいる事を祈っています。
これからもよろしくお願いします。
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震災約1年半後、仕事の都合で宮城県亘理町へ行きました。
用務は「農地の除塩状況確認」と「排水機場の被災状況確認」でした。
SANY0458.JPG

  (津波により壊滅した排水機場)
排水機場.jpg

  (排水機場の場所 赤〇)
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  (震災廃棄物処理場)

(テーマ東日本大震災)
2011年3月22日 10日経っても被災地家族の安否確認が取れない
2011年3月31日 初めて1家族と連絡がつきました
2011年4月 1日 上記について海外からも感動の便りがとどく
2011年4月11日 震災で修学旅行の日程および目的地が変更
2014年3月 5日 もうすぐ震災から3年が経過します
2015年3月 8日 間もなく4年,2011年4月21日の茨城県高萩市の記録。『震度6強』
2016年3月10日 まもなく5年、震災約半年前に地震体験車を経験

3月3日は「ひな祭り」 [主人公の供養]

2月12日付けのブログで「ひな人形を飾りました」を投稿しました。
hishimochi.jpg
<今日のひな人形。素材にこだわった祖母の手作り菱餅が飾られています>
3月3日が「ひな祭り」の本番。少し、振り返ってみることにします。
※父の仕事上、前倒しにしたこともあります。
(テーマ3月3日 ひなまつり)
2006年 9歳 姉妹で紹介
2007年 10歳 菱餅と記念撮影
2008年 11歳 ひな人形の前でも「首を振ります」
2009年 12歳 曾祖母と一緒
2010年 13歳 「ブログ考古楽」のルーツはここから
2011年 14歳 「15回目のお飾り」で一区切りしたい宣言
2012年 15歳 ひな人形のない「ひなまつり」
2013年 16歳 この年は「ひなまつり」なし・・・寂しい
2014年 17歳 「ひなまつり」のごちそう紹介
18歳 最後のひな祭り(無念)
今年も3月3日に2月12日に飾ったひな人形を仕舞います。
しばらくは眠っていてください。そして来年の2月に会いましょう。
その時は三人官女も一緒に